各性格タイプは異なる「囚われ」を持つため、異なる回避行動をとります。
タイプ1
怒りを回避する。怒りの感情を持っているものの、抑圧されてしまっているために自覚さえ無い。声には苛立ちが含まれ、他人の欠点について反感を述べたり自分が傷つけられた事の怒りをぶちまける事もある。彼らはいつも完全である事を願うため、怒りによって「不完全」となってしまう事を恐れる。
よって、あらゆる事柄を完璧にこなそうとします。仕事の準備から完了まで、一切手を抜かない事を心がけます。他人に対してもこの完全主義を強いることもあります。
タイプ2
自分が何かを必要としている事を認める事を避けようとする。他人の「必要」に目ざとく反応し、援助し、親しい人を助ける事を誇りとする。
援助者でありたいと思う反面で恩返しを期待する事が多いが、その自覚は無い。
他人を助けるその目的は自分に関心を持ってもらいたいからである。
助けたい相手がいない場合、何もしたいことが見つから無いことも多い。
タイプ3
このタイプの「囚われ」は成功する事にある。成し遂げられた成功に自分の全てを見出したり、自分や他人までもを成功のために犠牲にしたりする事もある。
通常、成功すると思われる仕事のみを企画し、成功が疑わしければ極力避ける。最善の方法で物事を成し遂げようとし、能率悪くやったり時間などを浪費する事には我慢がならない。
成功に欠かせないのは世間におけるイメージであるとし、自分が心の奥底で思っている事と外面で示している事に食い違いがあっても気がつかない。
タイプ4
特別である事を重要視し、自分は平凡ではない、洗練された感受性に富んだ人間である、自分を理解しない人は他人であると考えている。
こういう考えが出てくるのは、彼らが自分の人生で起きた悲しい出来事に特別な感情を抱いているからである。
自分が特別な人間であると思っているために対等な人間関係を結ぶのに困難する。
「本当の人生はこれからだ」という期待を持ちがちである。
タイプ5
彼らはその「囚われ」のために空虚さを避ける。
自分の内面の空虚さを外部に投影し、他人は浅薄な考えを持った者ばかりであると考える。
空虚さを遠ざけるために他人から自分を心身ともに遠ざける。
内面の空虚を知識で満たそうとする渇望を持つ。
理由はともあれ、幼い頃から自分の世界に引きこもることによって寂しい気持ちを処理してきた。引きこもり、知識によって満足感を得る。
タイプ6
規範からの逸脱を嫌う。人生は規範に支配され、人に責任を課すものであると考える。責任を遂行し、義務を果たすことを心がけることが大切であるとし、規則や慣習を守ることが集団に対する忠誠であると思っている。
幼い頃より、何事にも自分にとっての権力者、一般的には父親や学校の先生によって決定されるという生き方を身につけて成長してきた。
自ら選んで切り拓く事や、自ら選択していくことを避けようとする。自分勝手に誤った判断を下すことが重要であるとしている。
「変化」を恐れ、変革に抵抗する。自分、又は自分のグループに向けられる批判は彼らにとっては危険極まりないものであり、悪意によるものであると考える。
タイプ7
苦しみを回避するために楽観主義や快楽主義となる。自分が計画したことを実行に移す事で何らかの不快が生じる事を恐れるために滅多に実行には移さなくなる。
彼らにとって人生とは「楽しみ」であり、物事の明るい面だけを見ようとする態度は付き合いやすさ以上に浅薄であるといった印象を抱かれる事もある。
彼らにとって現実とは、計画を立てることであり、それだけで未来はバラ色となる。次から次へと非現実的な計画を立ては実行を先延ばしにする。
時間内に達成する事は難しく、人々を困惑させる。
タイプ8
彼らは自分の弱さを認めない。
人生は正しい事のための戦いであるとし、不正や偽善は暴露されなければならないとする。他人に自分の弱点を見せないように細心の注意を払う。
彼らは他人の弱点を見つけるのに素早く、相手が挑んで来たときの備えとするのである。
偉そうにする者を引きずり落としてやりたく、力を誇示する者がいればたちどころにそれを見抜く。
タイプ9
彼らにとって人間関係の緊張や不和は不愉快であり、彼らは葛藤を回避する。他人が自分を行動に導いてくれるのを待つ。
幼児期の愛情の欠如によって、自分の価値と重要性を否定する「囚われ」を持つ。表情や話し方が無気力で単調である。
彼らは変化のない生活を楽しみ、親しんだ事に執着する。
しかし、葛藤の無さを重要視するが故に機械的である事に満足感を見出すためにやり慣れている事以外の事を頼んでも「NO」とは言わない。