最終更新:ID:FNioYGPMDQ 2022年10月23日(日) 15:54:27履歴
F(感情)かT(思考)かは、判断の仕方の違いを表しています。
感情型だからといって、感情的になりやすいだとか、表情が変わりやすいとかいうわけではありません。
また、思考型だからといって、頭が良いだとか、頑固だというわけではありません。
感情型の人は、明白な原理原則よりも、自分を含めた個々の価値観を重視したいという衝動を持っています。
そのため、ある情報や判断した結果がいかに人に影響を及ぼすかを吟味し、個人が求めていることを受け止めて調和を導こうとします。
感情型の人は周囲から、受容的で、気持ちを大切にし、すなおで人間関係の調和を求めようとしているように見られます。
一方、思考型な人は、正しい情報を集めて、これを分析し、明かな結果を導きたいという衝動を持っています。
思考型の人はしばしば批判的で、論理的かつ懐疑的であるように見られます。
以下、いくつかFかTかを見分けるための項目を挙げてみましたので参考にしてください。
引用元:MBTI日本版標準化の試み, 加茂ら
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001878732
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008124605
⇒ マンガで分かるタイプ診断
⇒ 指標によるタイプ診断
⇒ MBTIにおける「感情」とは?
感情型だからといって、感情的になりやすいだとか、表情が変わりやすいとかいうわけではありません。
また、思考型だからといって、頭が良いだとか、頑固だというわけではありません。
感情型の人は、明白な原理原則よりも、自分を含めた個々の価値観を重視したいという衝動を持っています。
そのため、ある情報や判断した結果がいかに人に影響を及ぼすかを吟味し、個人が求めていることを受け止めて調和を導こうとします。
感情型の人は周囲から、受容的で、気持ちを大切にし、すなおで人間関係の調和を求めようとしているように見られます。
一方、思考型な人は、正しい情報を集めて、これを分析し、明かな結果を導きたいという衝動を持っています。
思考型の人はしばしば批判的で、論理的かつ懐疑的であるように見られます。
以下、いくつかFかTかを見分けるための項目を挙げてみましたので参考にしてください。
引用元:MBTI日本版標準化の試み, 加茂ら
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001878732
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008124605
⇒ マンガで分かるタイプ診断
⇒ 指標によるタイプ診断
⇒ MBTIにおける「感情」とは?
F(感情) | T(思考) |
---|---|
明白な原理原則よりも、自分を含めた個々の価値観を重視したい衝動を持っている。 | 正しい情報を集めて、これを分析し、明かな結果を導きたいという衝動を持っている。 |
調和を求め個々の価値観を重視 | 平等・公正を求め客観的に分析 |
周囲から、受容的で、気持ちを大切にし、すなおで人間関係の調和を求めようとしているように見られる。 | しばしば批判的で、論理的かつ懐疑的であるように見られる。 |
ヴィジョンが気になる | 仕組みが気になる |
共感が欲しい | 同意が欲しい |
自分は悪くないと思いたい | 自分が正しいと思いたい |
感じ方を理解されたい | 考え方を理解されたい |
気遣いのない人が苦手 | お節介な人が苦手 |
温情は大事 | あまりに温情を示しすぎるのはよくない |
感情への影響を考慮する | 論理的な妥当性を考慮する |
自他の価値基準から考える | 規則や論理における妥当性から考える |
情に厚く、感情的になる | 真実を追求し、原理原則を適用する |
感情論に合わせがち | 論理や規則に合わせがち |
感情論から逸脱するなら批評を自粛 | 感情論から逸脱しようとも必要なら批評する |
感情論を貫きとおす | 論理を貫きとおす |
気持ちを大切にする | 物事の筋道や権利を大切にする |
感情論 | 論理 |
同情によって靡くことも | 同情すれど、靡かず |
受容 | 理解 |
論理からの逸脱に寛容 | 論理からのの逸脱を拒絶 |
正義感 | 正義 |
同調 | 議論 |
感情 | 思考 |
カウンセリング | 尋問 |
人 | 物 |
T型といえば、「思考重視」「論理重視」なキャラが多いという印象をもっている方がいるかもしれないが、それは大きな間違いである。
論理とは、必ずしも複雑な分析を指すわけではない。
たとえば、「腹が減ったから何か食べたい」、「悲しい事があって涙が止まらない」といった、ごく当たり前の本能的な側面も、論理に該当する。
「悲しい事があって、心配されたいから泣く」とか、「悲しい事があったけど泣いたら恥ずかしいから泣かない」というように、感情を動機にする場合は論理ではなく感情論といった見分けとなる。
T型のキャラは一定の論理に沿って動いている。
論理的に筋が通っている、またはルールに反していないと認識しない限り考えを改める事もない。
どちらかといえばF型のキャラの方が、人によって異なる要素である価値観が判断に響いてくる分、その行動や行動の動機は複雑である。
たとえば、個人的な美学 に従って動いていたり、場の空気(周囲の人)に合わせて自分の判断を変えたり、気分によって判断を変えたり。前述の「美学」には、論理的である事に価値を置くものすらあるという始末である。F型キャラの判断基準は読みにくい。
T型かF型か迷ったときは、行動や行動の動機が論理的に矛盾しているものの、感情論としては筋が通る場合にはF型の可能性が高いと考えると多少考察を前進させられるかもしれない。行動や思想の動機を遡って考えるという、裁判だの取り調べだのをするみたいな考え方をしていくと良い。
論理とは、必ずしも複雑な分析を指すわけではない。
たとえば、「腹が減ったから何か食べたい」、「悲しい事があって涙が止まらない」といった、ごく当たり前の本能的な側面も、論理に該当する。
「悲しい事があって、心配されたいから泣く」とか、「悲しい事があったけど泣いたら恥ずかしいから泣かない」というように、感情を動機にする場合は論理ではなく感情論といった見分けとなる。
T型のキャラは一定の論理に沿って動いている。
論理的に筋が通っている、またはルールに反していないと認識しない限り考えを改める事もない。
どちらかといえばF型のキャラの方が、人によって異なる要素である価値観が判断に響いてくる分、その行動や行動の動機は複雑である。
たとえば、個人的な美学 に従って動いていたり、場の空気(周囲の人)に合わせて自分の判断を変えたり、気分によって判断を変えたり。前述の「美学」には、論理的である事に価値を置くものすらあるという始末である。F型キャラの判断基準は読みにくい。
T型かF型か迷ったときは、行動や行動の動機が論理的に矛盾しているものの、感情論としては筋が通る場合にはF型の可能性が高いと考えると多少考察を前進させられるかもしれない。行動や思想の動機を遡って考えるという、裁判だの取り調べだのをするみたいな考え方をしていくと良い。
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このページへのコメント
目的のためなら手段を選ばないというのはどちらかと言うとTi
Teにとっては構築が主なんだから手段は選ぶよ、危険な工具を使うときは用法を守るでしょ?それと同じ
Tiは客体知覚の中で可能なことを見抜く機能だから可能な経路さえ見つかれば、リスクを鑑みてもやる価値があると判断すればやり方はあまり気にしないで実行するよ
Teはルールの中で出来ることをする訳だからある程度は手段を選ぶ、と言うよりも選ばざる得ない
Tiはルールではなく理論上可能なことを求めるから手段はあまり気にしない、ただ可能であると分かるまではなかなか動かないからそういう意味では神経質に見えるのかもしれない
Fiは自分じゃなくて身体や人間と解釈した方が適当だと思うよ、だからFi的な創作物が多くの人に共感を産む
自分とはTiのことで経験によって培われる側面が大きい、だから新たな知見や発見に到達することもある
もちろんFiとTiがもつれ合うこともあるし独立してる部分もある、それに関しては他の心理機能にも言えるけど
自分は特別でありたいという欲求はFiだろうがTiだろうが持ちうる
Fiの場合は特別な存在である自分に対する羨望を意味するのだろうし、Tiの場合は他者と自分との共通項を知らないが故の思い上がりを意味することだろう
Teで身の程を知りFeで外の世界を知ることで健全にはなると思う
Tiは物事の本質理解じゃなくて自分を納得させる理由(解釈)だよ
より抽象的に言えば自分は世界をこのように見ているってのもTiになる
なぜなら自分が見ている世界は自分の知覚を解釈した結果に過ぎないから
白っぽい色を白だと教えられて、何も感情を持たず「これは白です」って答えられるのがTe
白っぽい色を白だと教えられ、「別の色がちょっと混ざってるので、これは(自分的には)白だと断言できないと思います」とか言ってしまうのがTi
白って言われたけどなんて答えたらいいの?と思い周り見て、みんな白って言ってるから「白」と答えるのがFe
白っぽい色のことを白だと言え!と強制されてるように感じ、苦痛を感じるのがFi
>白っぽい色のことを白だと言え!と強制されてるように感じ、苦痛を感じるのがFi
これは同調圧力を感じる劣等Feじゃないか?
Fiは「(みんなが白い色と言っているけど、自分は白っぽい色に見える、でも他の人には白に見えるんだろうな)」
みたいな感じになると思う
訂正ありがとう
実はFeとTeって紐解くと全然別物だったりする
Feとは客体の価値判断そのものであり集団の意見や流れに従うのはもちろんだが、書籍の内容や学術的な理論を受け入れるのもFeだったりする
Teの本質は実行にあって実験してみたり文章を書いたりものづくりするのがTeになる
外にある理論のインプットがFe→Ti(内容理解)の流れで、アウトプットがFi(自分事と捉える)→Te(実行)の流れと感じた方がシンプルかな
T機能をコントロールと解釈するとわかりやすい、Tiは内界のコントロールと言えるしTeは外界のコントロールと言える
外にある価値判断は直接コントロール出来ないからFeだし、心の内側から湧いてくる印象はコントロールするものではないからFi
自分を納得させる理由を見出すのは自分をコントロールすることと同義だからTiだし、何らかの形で実行してアウトプットするのは外界のコントロールでもあるからTe
かなり独自解釈では?
FeTiFiTeは判断機能だし、SeSiNiNeは知覚機能
>>外にある理論のインプット
これが外にある"価値観"の踏襲ならFe、外にある"法則"の踏襲ならTe
Fiは内にある"価値観"に従う、Tiなら内にある"法則"に従う
になる。それ以上の意味はない
おそらく言いたいのはFe-TiもしくはTe-Fiのバランスの取り方のことじゃないか?
第2-3に判断機能があると、自理論を優先するか周りの理論を優先するか葛藤が生じる。まだ内と外でうまくバランスが取れてない状態
FeやTeがコントロールできないもの、という表現もここから来ていると思われる
周りの空気(価値観)に合わせ!みんな同じ!そこから外れたら人間じゃない(真顔)。がFe
規則は疑問を持たずにただ守ればいいんだ!なぜならそれが正しいから。 がTe
"周囲の同意を得ず"自分がベストだと思ったものを勝手に決定して周りに影響を与えてしまい反感を買うのがTi
「〇〇しないなんて人でなし!」って自己基準で言うのがFi
どの機能も反対(FeならTi、FiならTe、逆もしかり)の機能が無ければ外とはうまくやっていけない
Feが認識するのは現象、Fiが認識するのは人、そんな感じがする
TPの言動を伺うに"みんな"、"やさしさ"、"社会"という認識は意識できても、自分の行動が他者に与える影響の認識は弱い感じがする(Fiが無意識的だと個人に対する認識が手薄になる)
TJはその逆で、"部下/上司"、"仲間"、"自己管理"の意識は強いけど、自分と関わりのない不確実な世界には弱いのかなって感じがする